出会いに対して出来る事
日々の出会いに対して我々の出来る事はあまりにも少ないしかしだからと言って出会いに対する努力を怠る事はなによりも馬鹿げた事である、出会いの機会が無いからといって出会いを諦めた時点でアナタが望む理想の出会いに到達する可能性は零になってしまうのである。それならば少なくとも出会いに向かって微々たる全身であったとしてもできる事をできうる限り行う義務が我々モテない残念系男子には存在する事を今ここに宣言したい。出会いを求めるのならば出会いに対するそれなりの姿勢を見せるべきであるとはこのサイトでは散々と主張してきた事だがソレとは別に出会いを探す上で何よりも行なってはいけない事とは出会いに対する可能性を放棄する事である。
出会いに向かって
では改めて我々が出会いに向かって何をできると言うのだろうか、残念ながら今現在その明確な答えを私はココに記す事ができない。何故ならば個人の『出会い』が内方している要素はとてつもなく幅広く様々な意味を有しているからである、ソレこそ社会現象にまで発展したあの『某ゲリオン』なアニメ(決して赤い光弾ジリオンでは無い事だけは名言しておく)のように総人口が全て等しく同一のものにでもなれば答えを見つけ出す事も可能なのかもしれないが、そうなってしまった時点で出会いなど最早なんの意味もないため結局は虚しいだけの空想にすぎないのだ
出会えるという事実
しかしそう悲観する事でもない、何故ならば我々には肉がありまた骨がる、自分自身で自分自身の出会いを探すための肉体があり心と人格があるのだ、あぁこんなにも喜ばしい事が人類が自己を自覚し他人との出会いに触れるまでにいったいどれほどあったであろうか?普段我々が享受し普通の事のように受け入れているふれあいこそが紛れもなく他でもない人類の求める『出会い』そのものなのかもしれない。つまり人類にとって出会いとはすなわち最も身近に存在する生物の『母』とも呼べる純然たる生きる為の根源的意思なのではないだろうか・・・